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病人レポート7 ; 「わたしのいのち」

血球の回復も順調で第二関門も突破といったところです。第三関門はこれからやる骨髄検査ですが、主治医の見立てでは「しばしの寛解」を今後も維持できそうです。

この再発が分かった時、正直すぐに遺書を書こうと考えました。そして何より元気で、自分が自分としてあれる内に生前葬ともいうべき「ありがとうの会」をしたいとも思いました。それぐらい落胆し、絶望を感じたスタートでした

白血病に限らず、がんは繰り返しぶり返すごとに、その性質がより粗暴になっていくものです。これまでも触れて来たように、白血病はいわゆる手術でがんを切除するのでなく、あくまで抗がん剤(のみが)生命線です。特に1度骨髄移植をすでにしている私は、「最強の化学療法」と言われる、今の医学でこれ以上ないという治療を全うしていることになります。それでもなお、私の中で白血病細胞は生き続けている、、この現実は途方もない絶望です。この世で最強の「猛毒」を持ってしても生き延びられるよう ‘彼ら’ は変態を続け、増殖を続けているということを意味するからです。

初発時の主治医にも(今とは別の方です)「骨髄移植を経て再発すると完治は難しくなる」という旨、何度も言われていました。移植前の前処置にもだから12Gy(グレイ)という大量の放射線を全身に浴びています。(https://www.jaea.go.jp/04/ztokai/kankyo/kihou/kihou19_1/dic/unit.html) 人間は生涯に浴びて良い放射線量は15Gyだとその時言われました。心電図を付けながら24H投与する抗がん剤も致死量入れています。そしてレポート6に示したように、壮絶なGVHD(移植後の合併症)も経験しました。

5年を経るとはじめて「完治」と定義づけてもらえるのは白血病も同じ。2年前、1度目の再発がわかったのは移植後丸4年を迎える1ヶ月前でした。ただその時は自分の中に、秘策とも言うべき「生きるためのアイデア」がありました。「ドナーリンパ球輸注療法(DLI)」( https://www.jshct.com/modules/patient/index.php?content_id=48 ) という方法です。これは通常、移植後短期で再発してしまった患者さんに向けて適応される処置で、私のように概ね4年を経てのケースはほとんど前例がなく、主治医からは再移植を勧められました。

ですが私の希望を汲み取ってくれた(常に患者さんの気持ちを優先してくれる)主治医が、この危険な橋を一緒に渡ってくれました。力強い主治医との信頼関係、いつ何時も人とのご縁だけはずっと恵まれ続けていると感じます。

DLIを実施するにあたり ;
・骨髄提供された同じドナーさんのリンパ球でなくてはならない
・骨髄液同様、ドナーさんから採れたてを輸注(点滴)しなければならない
・そのドナーさんがこの期間、他の方のドナーになっていたらできない
=骨髄(リンパ球含む)を提供できるのは生涯に2度まで

などの制約があり、移植から4年経ってそもそもこれらの条件をすべて合致させること自体かなり大変という背景もあります。ですが私は自分に流れるドナーさんの細胞をとにかく無くしたくなかったのです。再移植をするためには、このドナーさんの細胞含め、また骨髄を破壊し尽くす下ごしらえをせなばなりません。この細胞たちの力を本当に信じているので、その生命力に賭けたかったのです。

そして本当に幸いなことに、全ての点が1つになって、無事にこの治療をすることができました。そして著効しました。WT1という白血病マーカー(https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/264607.html)が陰性になりました。ドナーさんのいのちとそのエネルギー、再びのご縁、自分の直観、運命、、、最初に骨髄をいただいた時以上に強く感じました。こんな偶然が必然として起こる。絶対治る。自信がありました。治る理由があるから、この複雑な点が全て良い方向に結ばったのだと確信しました。

そして2年後。今回の再発。物理的な「死」以上に、生き延びる上でのアイデアがもう自分にないという「精神的な死」の方が先に立ちました。DLIも2度はできません。再移植だけは絶対にしたくない。あんな地獄をもう見たくないし、したとしてもそれはわずかな延命措置としか思えない。。万策尽きた感。とにかく生きることへの自信を、今回ばかりは完全に無くしました。

今まで「完治させる」ことの前提でしか話をしてこなかった主治医から「どこにゴールを置くか」という、取りようによってはとてもネガティブに聞こえる発言を得たこともまた、ショックでした。「どこに」って。。。「じゃ、あと2年くらい生きられるように」って答える人はいないと思うのです。骨髄移植の大変さを重々分かっている主治医だからこそのやさしさなのですが、「もう道はないんだ、、」その時の私はその発言の趣意以上に、、悪い想像を重ねてしまっていたと思います。

このレポートはそんな状況の中、自分を諌めるため、もう一度前に進む力を自分自身が再度認識するため、今の私だから見える風景を、この先の私が忘れないように。そういう思いで書き始めました。だからこんな一人よがりの、自分語りの話、こうしたパブリックスペースに落とすことが合っているのか。悩みました。でも。

病気に向かい合ってる人、仕事に悩んでいる人、恋愛がうまくいかない人、誰の中にも一つはあるであろう「生きづらさ」や、死は生の前提であるということ。そういう「ニンゲンの本質」に近いことについて触れられれば、これは必ずしも境遇や背景が同じでなくても、逆に違うからこそ見つめられる、伝えられる世界があるのではないかと思い直しました。

長く入院していると、人の死にたくさん接します。ナースルームから一番近くの個室。特にこの部屋は常に緊迫した「生と死」が、毎日のようにその天秤の針を行ったり来たりします。多くの場合、ここに通されたら現世的に「生きて」は帰れません。

その個室にはドアがありません。薄いカーテン1枚。そのわずかな「隔たり」はイコール私の生の風景でもあります。その1枚の薄い布の向こうに、私の死の世界も同時に広がっているように感じます。でも不思議とそのカーテン越しに映る患者さんの姿を見ていると「終わり」や「絶望」を感じないのです。むしろ生きている限り死なない人はいない。その時間ある限り、いのちが続く限り、どう生きるか。もっと明るく、もっと楽しくなるように転換できないか。その1秒を、今を大切にしなさい。そう言われているような気持ちになります。

人間の可能性。生きる力は、本当に大きく、強く、計り知れません。そしてこれはその人がそのことを手放さない限り、むしろ増幅し続けると感じます。医学が切り取る「余命」や「数字」、、これらが精神に与う影響は甚大です。非情です。目を背けられない現実です。ぶっちゃけキツイです。そのことの世界に飲み込まれそうになります。いや、実際飲み込まれたし、かなり足を引っ張られました。でも。それはその人を現す一つの側面でしかない。そう思えた時、私は少し生きることにまた前向きになれました。

「わたしのいのち」はどこまでも私の中にあって、私が生きてきたように、私は死んでいきたい。輪廻を願うのでなく、この2018年を、今を生きる私として、私なりの進み方で、私なりの終わらせ方で天命を使い切りたい。自分ではない誰かのために、その人の毎日がちょっと楽しくなるようにこのいのちを燃やし続けたい。今はあらためてそう強く思っています。願っています。

そのための方法が、2度目の骨髄移植にあるのなら。いざゆかん。とようやく思えるようになりました。もちろん怖いです。嫌です。やりたくない。でもそこに背を向け続けることの方が嫌だし、それは「わたし」じゃないと感じるのです。この1ヶ月、本当にたくさんの方からかけていただいた言葉・思いがあって、ようやくその「わたし」を取り戻すことができました。そして今は、これから眼前に広がるであろう新しい風景が楽しみで仕方ありません。生きながらにして、すでに何回も脱皮してるような気分です。脱皮するごとに本当に大切なものが何か分かる。その冒険と発見を楽しんでいこうじゃないか。そう思っています。

病気を乗り越えてはいないし、多分一生乗り越えることはない。
病気にならない人生を選び直せるなら選びたい。
病気にありがとうとは言えない。

その根っこは変わりません。戦死した人たちを「英霊」と呼んで括ってしまうように、何かそういう言葉でこの体験をまとめたくはないのです。もっとドロドロしているし、もっとどす黒い、本当の生々しい経験だから。でもその闇と向き合うからこそ。真逆にある真のうつくしい世界を、人は描くことができるのではないかと信じています。

今日で丸1ヶ月。長い長い720時間+MORE、、でした。天井を見上げるしかない日々、朦朧とする意識の中で思ったこと。それを書き留めてきた7本のレポート。本当にたくさんの方が読んでくださり、お気持ちを寄せてくださり、シェアしてくださり、過分なお言葉を紡いでくださり、個別のメッセージも多数いただきました。本当に本当にありがとうございます。お一つずつのメッセージ全てが私の宝物です。生きるエネルギーです。

明日、ついに地上に降りられることになりました!!!

会いたい方がたくさんいます。行きたい場所、食べたいもの、見たいもの、触れたいもの、聞きたいこと、話したいこと。みなさまとその時間を共にできたらとても嬉しいです。ぜひ引き続きお気軽にお声がけいただけたら幸いです。おそらく年末か、年明けに予定されるであろう2度目の骨髄移植までの間。しばしまた、下界での生活を満喫しようと思います。

風を感じながら夏のしっぽを追いかけつつ、自分がやらねばならないことをどんどん進めていきたいと思います。関係各位、大変ご迷惑をお掛けしております。引き続き私にできることは全てやる所存です。よろしくおねがいいたします。

病人レポート8には、さらに進化した「わたし」が執筆できるよう、研鑽を積みたいと思います。このレポートに寄せてくださった全ての思い、祈りにこころから感謝すると共に、みなさまの健康とシアワセを私もいつも願っております。

変わることを恐れるのでなく、むしろ変われる方へ身を投げ出してみる。今を脱皮して新しく生まれる自分にワクワクしてみる。生老病死が人の常ならば、その全ての時間、これからも「わたし」は変態し続けようと思います。

写真はあたたかい光に包まれた街。窓の向こうでこんなにもうつくしい世界を描き続けてくれたこの空にも。こころから感謝を。
2018.8.21

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