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病人レポート8 ; 「イヤなものはイヤ」

遂にこの日がやってきました。昨夏の再発を受けこの半年、「入院、治療」という文字を物理的&精神的に遠ざけ、現実から目を背け続けてやり過ごして来ましたが、やはり2019年1月10日はきちんとやってきました。

「川の流れに身をまかせる」と決め込んだものの、時にその川は濁流のように私を飲み込み、何度となく岸壁に打ち上げられるような感覚が続く半年を過ごしました。そう「イヤなものはイヤ」なのです。何度となく「イヤじゃなくなりたい」と思おうとしましたが、結果この日を迎えて病室にいる今も「変わりなくイヤ」であります。今すぐ帰りたい。入院はおろか、注射の針一本、もう刺したくない。そういう思いの波に、少し気を許すとまんまと飲み込まれそうになります。

患者を管理するために腕に装着させられるビニル製のストラップ。これが心理的にはまことに「手錠」のような重みがあります。つい数時間前まで「そのへんの人」だったのに「ID xxxxx」で認識され、もうここから私の自由は全て奪われます。息苦しいです。生きづらいです。

「イヤなものはイヤ」だったらやめてしまっても良いのです。人生においてどうしてもイヤなことを必ず乗り越えねば「ならない」わけではない。「逃げるが勝ち」という感覚だって、たくさんの共感は得られないかも知れないけれど、私は元々アリだと思っています。

しかしながらイヤ→止める=死。この方程式の右辺の解像度が高かろうが低かろうが自分の目の前に事実としてある以上、砂糖をむしゃぶりつくように一時の快楽を求めて自分の人生という電車から飛び降りてしまうのもイヤ。そんないやいやえんの無限ループを頭の中で繰り返しました。

<余談>そんな風にイヤイヤ思っていることと因果があるのか、この土壇場の中、月曜から急にインフルエンザA型にも感染し、入院を目前にして、いやいやえんは最高潮に達しそうになりました。肉体の苦は精神の健全を奪います。が、、「これはいろいろ体内の悪いものをデトックスしてくれてるのだ」と自分に自分で麻酔を打って、なんとか今日を迎えました。こうしたファンタジーを頭に描くのに「はたらく細胞」というアニメ(https://hataraku-saibou.com/)が一翼を担ってくれており、大変ありがたいものが世に放出されたと感嘆しております。

岡本太郎氏の言葉に「強烈に生きることは常に”死”を前提としている。”死”という最もきびしい運命と直面してはじめて”いのち”が奮い立つのだ。”死”はただ生理的な終焉ではなく、日常生活の中に、瞬間瞬間に立ち現れるのだ。」とあります。

この引用の最後の部分「死は日常の中に立ち現れる」ということ。思い返せばこの病との8年、私はいつも日常の中に病=”死”を映し鏡にしてきた気がします。もうあまりに自然に自分の身近に死という存在がある。衣食住と生老病死はほぼ近似で、でもそういう位置関係だからこそ”生きて”来られたとも感じています。

だからと言っていつものごとく、病になって良かったとは相変わらず思えません。でも全くなかったら、自分を変態させる機会すら見失い、ただ漫然と時を過ごしていたかも知れないと思ったりもします。

そういう思考を掘り下げていくと「イヤ」と思っている気持ちもそう悪いものではないのかも知れないと感じます。というかむしろ大切なのではないかとすら思えてくる。この「イヤ」という駅を始発にして「イヤ」という電車を走らせてみる。停車駅は「なんでいやなのか」「じゃやめちゃえば」「いや人生をやめたくない」「だけどイヤ」。山手線みたいにグルグル同じ軌道を回っているようで、イヤならイヤで、イヤをこねくり回していると、段々その軌道が大きくなって、フとした時に「!」と急に気づきを得るような感覚に出会えたりします。

「なぜそんなに前向きなのですか」という問いを頂くことが多いのですが、ご覧のように、私も思い切りネガティブな自分を飼っていて、毎回毎回、どうしたらこの暗黒な闇から抜け出せるのか?もがいています。

ですがもしその問いに答えがあるとしたら、そんなネガティブな自分が出てきた時に、無理にポジティブに塗り替えないようにだけは気をつけてきたというのがありそうです。ダイエットと同じで急な減量はリバウンドを起こします。一過性のポジティブもやはりリバウンドを引き起こし、その何倍ものネガティブが跳ね返ってくると実感的に思っています。だから堕ちるときはしっかりとことん堕ちる。暗い暗い深い井戸の中で、自分の気持ちに句読点を無理やりつけない。

小さい頃プールで、背中に浮きをつけて泳いだことがあるかと思うのですが、あのイメージを大切にしたいといつも思っています。堕ちるということは、まだ知らない世界に行くということで、当たり前ですがとても怖くてしんどくて孤独なことでもあります。でもそんな時、あの「浮き」が背中についてることを思い返すことができると、「時期が来たら浮かぶ」ということを信じられるのではないかと思うのです。「生きている限り誰しも浮力を持っている」と。それは私がもう何度も身をもって体感してきたことなので、自信を持って言えます。

そしてもう一つ、何よりとにかくいろんな方といろんな場所でいろんなお話をさせていただくことができたから。というのが挙げられると思います。

物理的にも精神的にも時空を越えて人と対峙することで、どれだけ前に進む力をいただけるか知れません。人が持つ、放つエネルギーはとてつもないものだといつも感じます。夏に出したレポートの最終章に「会いたい方がたくさんいます」と書いた甲斐がありました。本当にたくさんの方と貴重な時間を紡ぐことができた半年、事業について、経営について、生きがいについて、生きるについて、死について、未来について、結婚について、恋愛について、子供を持つことについて、お金について、、直接的に病気と関わらないような話の端々にも、本当に起点となる言葉が散りばめられていました。

うつくしい風景がありました。おいしい食事がありました。バカ笑いして、朝まで飲んだくれました。時に泣きました。そして怒りもしました。そういう全ての感情にストップをかけずに、平気で自分と対峙していくこと。このことの大切さを、こうしたみなさんとのご縁の中でいつもヒシヒシと感じています。

最後に入院に際し、いくつか同様なご質問を得ているので今一度ここに。

1.入院期間 ;
骨髄移植とは本当にやってみないとわからない治療なので、まったく予想ができません。ここにも何度か書いてきましたが、初回の移植は+7ヶ月(合計で1年半)の入院を要しました。ですが私の希望(&目標)と主治医の見解を重ね合わせて、桜の頃には無事下山したいと強くイメージしています。目黒川の桜を今年も必ず愛でます。

2.ドナーさん ;
「前回と同じ方ですよね?」というご質問をたくさんいただきます。そもそも今のドナーさんの幹細胞でいけるのであれば、再発はしないのです。今のドナーさんではもう対処できないという事態が再発を招いています。ですから全く新しいドナーさんから全く新しい造血幹細胞をいただきます。ドナーさんがいてくださることは、これをサポートいただいている方、ご家族のみなさま、いろんな方の思いあってのことなので、言葉にできない感謝の気持ちでいっぱいです。

3.治療 ;
まず8日間かけて「骨髄破壊的措置」と言われる、事実上「血液(を構成する細胞&造血する能力)をゼロに追い込む」ということをやります。非常に強い抗がん剤を使い、医学的に事実上「骨髄の中身をゼロ」にします。ですから、極端な免疫力の低下を引き起こし、ちょっとした感染、下手したら虫歯一つも命取りになり得る状態が続きます。そして追い込んだ後に、、骨髄移植=造血幹細胞を点滴でいただく、ということをやります。

4.骨髄移植とは ;
やはり「手術」だと思われている方が多いのであらためて。骨髄移植は臓器移植ではありません。ドナーさんの骨髄液から採取した「造血幹細胞(血液の元になる細胞)を、当該患者に点滴で受け渡します。」ですから、メスを入れたりは一切ありません。(よろしければ過去の病人レポート6=https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10216941929083069&set=a.3352463853004&type=3&theater をご参照いただけたら幸いです)

たくさんのみなさまの、たくさんの思いを力に変えて、また一歩ずつ前に進みたいと思います。本当にいつもありがとうございます。みなさま一人一人のお気持ちが、今の私の生きる糧です。今度こそこの借り物の身体をきちんと修理し尽くしたいと思います。

写真はこの病室からこの入院初めての空。繋がっていることを今日も感じて。
2019.1.10

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