マダム「ソニア・リキエル」が86歳の人生に幕を閉じました。
20代後半から、ソニア・リキエル化粧品で仕事をしていました。
アンニュイでクールでニットの女王と言われる彼女はニットのような温かさを醸し出す事はなく、煙草とチョコレートをこよなく愛する少し影を持つ存在。
マダムソニアにそんな印象を持ちながら、しかし仕事は、それなりにソニアを彷彿とさせるキャラクターが一人いたので他のスタッフは何とも明るく元気に新宿伊勢丹ソニアリキエルコーナーを切り盛りしていました。
ソニアリキエルでは日本一の売上、顧客を抱え、リピート率もトップを誇り、毎年年度末の表彰を頂いており、そして同じくその発表の席で披露する出し物?も毎年工夫を凝らし、いつも1等賞を頂いておりました。
あの頃なんでも一番が大好きだった。
今は影を潜めていますがね。でももうあの感情は出てこないかな、使い果たしたもん。
ソニア自身はそんな私たちのことを知っていたのかどうなのか・・・。
でもワタシたちのマダム愛は素晴らしかったと今でも言えます。
先日もこの事を当時の仲良しと話ました。(LINEでね^^)
「かっこいい女性、ガチなパリ女だったね」って。
そんなマダムへの憧れは製品愛にも繫がり、顧客愛、百貨店愛にも繋がって行きました。
あ〜懐かしい。
あの頃は多分皆さんが思われているような、なんだか近寄り難い化粧品売り場のお姉さんに見えたと思います。
でも当の本人たちは全くそんな事は思っておらず、心底ブランドが好きで、化粧品が好きで、人が好きで、仲間が好きで、会社が好きで、毎日を楽しくすごく能天気な女子の集団だったのです。
そしてキレイそうに見える化粧品売り場ですが本当は裏仕事が多くて大変なんです。
朝早くからエアコンの効いていない所での納品の仕分けチェック。
その量も半端ない。
Xmasコフレの時期なんかは毎日のように大量の大きな段ボールが入荷されるので肩に幾つも担いで違う階の倉庫へ何度も往復したり、自分の身長の何倍もあるストック台にボンボンと投げたり、配送のお兄さん並みでした。
そしてレジが合わないと帰れないし銀行員のようです。
色んな申し伝えが滞ってしまいミスが起こると原因を探る様子は「私たち刑事みたいだね」って言っていました。今後のミスに繋がらないようにひとつひとつを解決することも仕事でした。
帰りには大量の洗い物。
百貨店のバックヤードの洗い場は化粧品メーカーの数は多いのに2〜3個しかないのです。
そこで冬でも冷たい水道水でスポンジやパフやブラシを丁寧に洗ってきて、カウンターを片付けて干場を作る。
顧客リストに記入漏れが無いか、伝票の間違いは無いか、帳簿のミスは無いか、配送の手配は間違いが無いか、オーダーは無事に終わっているか、イベントの手配はすんだか、DMの出し忘れは無いか、テスターやサンプルの補充は出来ているか、お客様とのお約束は守られているか、伊勢丹の指示は全員が周知しているか、なんとまぁ仕事の多かった事。
ぼろぼろで汗だくでくたくたになっておかしくなりそうでも、お客様の前ではソニアリキエルのモデルとして笑顔でお迎えするのです。
若かったから出来たんでしょうね、今では絶対無理!
そでもれが生き甲斐でした。
あ〜楽しかった。
あの時代があったからこそ今のワタシがいるんだと思います。
化粧品ブランドの「基本のき」を教えてもらいました。
あのころ新宿伊勢丹でチーフと言う役職をもらって小生意気だったワタシに
「ブスがぶすぶすすんな」って声をかけ立ち直らせてくれたトレーナーを追いかけたくて頑張りました。
あの言葉は言われてもいやな感じを持った記憶はなかったし、トレーナーも軽くいい流していたのですが強くワタシのココロを捉えてしまいました。
仕事の楽しさと、突然母を無くし環境がすごく変わってしまったアンバランス。
へなちょこなくそ生意気な感じでした、本当に。
だから今でも感謝なのです。
きっとトレーナーは覚えてないでしょうがね^^
ソニア・リキエルのあの時代があってこその今のワタシがあると。
ソニア・リキエルのご冥福をお祈り致します。
セレナイトのデスクまわりだけでもソニアの思い出の品がこんなに^^
PC備品入れ、薬入れ、買い物バッグ。
※懐かしい写真を探し出してみたらあった。
誰が誰かわからないので載せてみようかな・・・。