75年目の8月9日
祖父は被曝者でした。
白血病になりましたが晩年まで元気に過ごしました。
小さい頃はお見舞いに原爆病院に度々行きましたが、それは本やお菓子をもらえるのが楽しみだったと思う。(見舞う側がもらって喜ぶという笑)
原爆病院では患者の会の会長で、昭和天皇にも御言葉を賜わったといつも嬉しそうに話していました。
大好きな千代の富士の横綱への大一番の取り組み前に身を清めようと入浴して、そのまま取り組みを見ることなく逝きました。
世界的に多くの変化をもたらす今年の8月9日はまたいつもと違った感情と共にこの日に想いを馳せます。
11時2分、今日は電車の中かな?
東京にきて、この時間に黙祷している人を見たことがないけれど毎年心の中で祈ります。
長崎では全校登校日で、校庭に並んで原爆の歌を歌い、みんなで黙祷します。