ブログを読みに行くまで少し躊躇しました。
ドキドキしながら何度か文字を確認しながら読み返して、一晩あけてまた読みなおしてワタシが感じたことを書こうかなと思います。
彼女のココロの中にある物は彼女しかわからないけれど、彼女のブログから感じた事をいつか書こうかなって思っていましたが、たった今気持ちが変わって、今書きます。
がんは今二人にひとりがなる時代と言われます。
そしてまだまだ死と隣り合わせと根強く思われているため隠す方も多くいらっしゃると思うのです。
セレナイトの立ち上げに携わった友人たち3人を見送ったワタシが言うのもなんですが、みんながみんながんで死んでいくと言うのは大間違いです。
セレナイトのお客様のなかには当然これまでお別れをした方はいらっしゃいます。
でも元気に前と同じような生活に戻られた方の方が多いです。
そしてこのワタシもいま有難い事にこんなに元気に毎日を送る事が出来ています。
では何故彼女たちががんを隠しながら生活を続けるのか。
そのひとつには、まわりのがんに対する理解がまだまだ浸透していないのではないでしょうか。
精神的にも肉体的にも苦しい治療中に、まわりに自身のがんを告げた時のその人たちの態度や表情としての
驚くような、悲しむような、哀れむような、その表情に何度も対峙する力は持ち合わせていなのです。
そして返される言葉。
何気に出てくる、「頑張って!」「大丈夫よ!」
有難いと思う反面、病気に追い打ちをかけられたような気分になる方も少なくありません。
もうこれ以上何を頑張るのか、大丈夫と言う先はまだ見えていないのに軽々しく言わないで欲しい。
そんな言葉を心の中で握りつぶすしかなかったりするのです。
そしてココロを振り絞りながら「ありがとう」「迷惑かけてごめんね」って言うのです。
また告げた事で憶測による今いる環境の変化が必ずおきてきます。
友人知人の計らいで良い方向に動く事も多くありますが、逆にものすごいスピードでマイナスに動いていく事もあるのです。
それは自分自身のみならず家族やまわりにいる人たちも巻き込む事も少なくありません。
だからがん患者のなかには未だに自身のがんに対し口をつぐんでしまうのではないでしょうか。
そんな経験をした方を多く見て、聞いてきました。
ワタシ自身、がんのことをはまわりにいる人たちに直ぐに言う事はできませんでした。
限られた人にのみ伝え、時期や場所を考えながら小出しにしてきました。
しかし、そんな思惑とは裏腹に色んな羽をつけて知らない方向に飛んでいく事もありました。
ストレートに言葉として返ってくる中には
「死なないで!」
「大丈夫、佐藤さんは死なないから!」
一番辛い治療中に一番聞きたくない言葉はまわりの人からポロンとこぼれ落ちてくるのです。
治療以上にココロが痛くなります。
ワタシは生きてるし、これから先も生きて行くつもりで治療しているのだから。
そんな現実を避ける為にはまわりに告げない選択をするのも自分を守る術だと今でも思います。
オープンにすることは彼女の言うように癌の陰に隠れないで出て行き、気持ちが楽になる事でもあると思います。
そして反面、相当な覚悟も必要だと思うのです。
その覚悟の上のブログではないかと勝手に思ったりしてしまうのです。
人ぞれぞれだから、言う人言わない人がいていいと思います。
今回の件を受けてがんになった人はみんなが言わなきゃいけないような流れになるのは避けたいけれど、彼女の立場として、ひとつの方法として素晴らしい決断をされたと思います。
彼女の2度目に更新されたブログの中の文章です。
セレナイトにお越しになる方の中には、今は治療を終え元気になった方も、そしてご家族を見送られた方の中にも、この言葉とおなじようなお話しをしてくださる方が多くいらっしゃいます。
素直に自分のココロに寄り添えばいいと思います。
いずれその気持ちが訪れる時にまた向き合えばいいし、来なければ来ないでもいいんだと思います、ワタシはね。
ちょっと長くなりましたね、ごめんなさい。
書きながら寄り添う人にも更に深いご理解があればいいなぁって思いました。
がんに限った事ではなく、色んな意味でね。
色々考えながら文字にするのって本当に疲れますよね。
彼女も疲れない程度に、まわりに、そして自分自身にエールをおくるくらいの気持ちで書いてもらえたらなと思います。
以上でございます。
チャンチャン。