がんになってからこのように強く思うのです。
「人間生まれた瞬間から死に向かって生きている」
それが早いか遅いか。
そしてそれが充実していたかどうか。
私の母は50代で亡くなりました。
それはある日突然。
その時みんながお悔やみや悲しみから抜け出す応援をしてくれている中、初対面の上司が言ってくれた言葉。
お母様は今生を悔やみ無く全うしたから天に召されたんじゃないかな。
もう十分この世で頑張りましたねって。
だから悲しむことはないよ。感謝しようねって。
そうか、まだまだやりたいことがあったと思っていたけれどお母さんはもう十分だと感じたのかなと。
昨日のニュースで99歳で寂聴さんが亡くなったと。
どちらかというと彼女の生き方にワタシは共感しない方。
まわりには大ファンの友人もいるし講演?法話にも行っている人もいた。
なんで?しか浮かばなかった。
一度ならまだ若気の至り、つい出来心、
だけどその後もずっと非人道的は大袈裟かもしれないしワタシタチ他人には迷惑はかかっていないけど、謝ればOK、仏の世界に入ればそれを笑いに変えてOKってありなん?
そんな感じで共感とは遠い存在。
少しだけ昨日の報道を見て感じたこと。
笑って済ませられることは多いにあるんだなと。
心の奥でしっかり反省していれば、日々を楽しく過ごすためには(自分もまわりも)笑っていればいいのだなと。
理解した訳ではなくそれもありなんだと思いました。
長く生きることでその清算をきれいにされたのでしょうと思うことに。
ワタシはどんな最期の時を迎えるのかな。
昨日あった友人と、遺骨になったその先の話しまでしていました。
そんな歳になってきたねって。
ご冥福をお祈り致します。
少し御本も読んでみようと思います。