とうとう昨日梅雨に入りました。
そんな日に悲しいニュース。
その記事やニュースで音声を聞くたびに悔しさと腹立たしさと情けなさを感じてしまい
どこでも涙が溢れてきます。
昨日の勉強会でも帰りの電車のかなでも家でも今いるセレナイトの中でももうぐしゃぐしゃになるくらいです。
5歳の子にあんな文字を書かせることがどれだけの罪なのか。
そしてその子の人生を一瞬にして奪い取る。
いいや、一瞬ではなく、適切でなない表現かもしれないけれど、飼い殺しのようなあの環境は
感情を持つ人のする事ではない。
救えなかったんだろうか。
悔しくてなりません。
どんな気持ちであの子はあの言葉を頭に浮かべ文字にしていったのか。
出来ることなら強く抱きしめてあげたい。
ぎゅーって包んであげたい。
子どもは親を選べない
私たちの子どもに生まれてきてくれてありがとう
人によって色んな言葉を発するけれど、
それは本当にそうなのだろうか。
どこに生まれようと、どんな親に生まれようと本当は全ての命が全ての子どもたちが幸せに生きる権利があると思うのに。
お金があるとか無いとか、学歴が高いとか低いとか、そんな事ではなくて小さな幸せが少しだけちりばめられたそんな些細な時が与えられるだけでもシアワセな環境と思えるはずなのに、それさえ叶わないなんて。
あの子はあっちに行ってもしかしたら幸せになれるのかもしれない。
痛みや苦しみや悲しみから解放され幸せになれるのかもしれない。
でもそんな幸せではなくて子どもとしての本当の優しさの中でその幸せを味わってほしかった。
ごめんね。
苦しかったね、痛かったね心も体も。ごめんね。
こんなニュースが全て消え失せる世の中になる事を願います。
今心理の勉強をしています。
この前、医学部の授業に参加させてもらったあとに先生と話す時間があり、
私の想いなどを少し話していたら「向いてる人と向いていない人がいるんですよ。」
先生が心配してくださった。
もしかしたら私は向いていないのかもしれないです。
最近本当に思ってきました。
自分が生徒として参加した授業である差別を考える参考ビデオを観てデータを想像する時間があったのですが、ビデオを観ながら涙が止まらなくなってきて、もうジュルジュルでした。
視聴時間が終わり暗転が一瞬にして明るさを取り戻した時、誰も泣いてなかった。
きっと私だけだったのかもしれない。
レポートが涙で滲んで暫く書き込む事が出来ないくらい。
向いてないのかな。
昨夜の勉強会でたまたま話しに出て説明を受けた箱庭療法。
そのタイミングで出てきた保育援助で使われた恐竜のおもちゃ。
私の作ったものを見て先生が「さとうさん、これ怖いよ〜」って。
あの子のニュースを見たすぐ後だったので
怒りしかなかったからかな。
帰ってからもなかなか眠れず、
さくらん坊が寝ているのにまわりにおいて色々な事をずっと考えてしまった。
向いてないな・・・。
あの子の悲しさがいつか空の上で癒やされることを願います。