先日はじめての体験をしてきました。
「ひとさじの会」http://hitosaji.jp/muscat1/
前から一度参加したいと思っていた活動です。
お世話になっている吉水岳彦様の活動のひとつで、上野、浅草周辺で社会的弱者となった方へお食事を届ける慈善事業です。
わかりやすく言うと、路上で生活をするおじさんやおばさんにおむすびやお薬、肌着などの生活をするための最小限のものをお渡しする活動です。
本当は少し怖かったのが本心。
日常でも出来るだけ目を背け見ないフリをしてきた世界だから、こころの中で後ろめたいのと、遠い昔に山手線の車内で抱きつかれた苦い経験があり怖かった。
当日は2時に岳彦様の浅草、光照院に集まり大量のお米を研ぐところからスタートです。
お坊さんをはじめご近所の方や檀家さん、学生さんや色んな職業のボランティアの皆さんと何度も何度も研いで、炊いて、握ってを繰り返しました。
おむすびは流れ作業で作ります。
大きなタッパーに炊きあがったご飯を移して梅や鰹節、わかめなどで味を整え、
二人が計量器で130gを計りながら、ラップの敷かれたお椀に移して行きます。
それを次々にみんなで握っていくのです。
これを何度も何度も繰り返していきました。
ご飯の炊き上がりを待つ間にはお薬や生活用品の仕分けを行います。
夜に5つのグループで回るのですが配る地域によっても内容を少し変えたりする事も大切な事のようです。
夕方になると人が増えました。この日は国際色豊かで、ハーバード大学から慶応に留学している学生さん達や様々な大学の学生さん。
そして親子での参加者、サイトで知って来た方、毎回お手伝いしている方など30名ほどでした。
それぞれのグループと担当を言い渡されあとは厳粛な祭壇の前で出発前のお経を唱えて頂きます。
私の隣にはフランス人の慶応の先生がいらしたのですが全て暗記しているようでずっと声を出して一緒に唱えていました・・・すごい!
私は上野班。車で留学生の皆さんと移動です。
みんな色んな国から集まっているのにすごく日本語が上手で外国語の話せない私も大丈夫!
現地に着くと、そこから参加の多くの皆さんと合流して活動開始です。
ペアになって渡して行くのですが、「ずたぶくろ」と言う肩がけの袋に入ったおむすびを渡されその場に立った瞬間から世界が変わりました。
普段の駅前とは全く違う世界。
見えていなかった世界がそこだけポコッと浮いて見えるんです。
仕事帰りのサラリーマンやOLさんの存在が見えなくなるくらいに・・・不思議な感じでした。
ベンチに座って待っている方、段ボールでつくった家の中で寝ている方、集まって仲間と話している方の所へ行って、「ひとさじの会です。おむすび持ってきました。お茶はどうですか?お薬も持ってきました。靴下や下着も準備しています」って声をかけて回ります。
その時にはもう全く怖いと言う感情はなかったのです。
自分で今まで壁を作り見ないようにしてきた世界。
なんだか自分のがん経験とすこし重なったのです。
ウイッグ、付けまつ毛生活をしていたときに、わかってるはずなのに声をかけづらいのか遠巻きにこそこそと話されている感じがした経験があります。
同じ病気になった人はわかると思うのですがなんとなく居心地の悪さを感じていました。
立場は逆ですが、その感じと似てるのです。
最初に岳彦様から「この場所に来たくて来た人ばかりではありません。様々な環境からこのような生活になってしまった方達です。目線を同じにして声をかけてください」とお話しがありました。
これは姿勢の問題だけではなく、こころの持ち方も含めて目線を同じにすると言う事なんだと。
知らない間に私たちは強者、弱者と勝手に判断してしまっています。
「すごい人!」「すごい役職の人」「いい学校を出た人」と
「かわいそうな人」「病気の人」「大変な生活の人」
同じ人間なのに優劣をつけて目線どころか話し方を変えたり、自分のこころをコントロールしたり・・・。
情けないです。私も同じでした。
病気になって「かわいそうに!」と言われる事が一番嫌だったのに
自分が同じ事をしていた。
最後に浅草にみんなが集まり報告・反省会をしました。
まだもやもやとした気持ちで自分の根性の悪さや情けなさが入り交じっている状況ではありましたが少しだけですが向かう気持ちに変化が生じていた気がする。
今日もまだスッキリとまではいかないけれど、これからも機会があれば参加してこころの修行をしていかなければと感じるんです。
日が経つにつれもやもやが大きくなるから、いつか解消出来る日まで。