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1.私のがんについて

2011年5月のゴールデンウィーク、友人と近くの駅まで歩いていると急に腹痛が襲ってきました。

生理痛のようなものでしたがいつもとは痛みが違います。

あまりの痛さに驚きましたがその時は予定もあり我慢をして出かけたのです。

暫くして治ると思い過ごしていましたが数日たってもなかなかおさまらず、ゴールデンウィーク明けに病院の予約をしました。

20代後半に子宮内膜症で、30代になり子宮筋腫で開腹手術をし、その後も腹腔鏡手術をしていたのでそのかかりつけの総合病院の婦人科を受診しました。

しかし異常は見つからず消化器系ではないかと言われ、同じ病院の消化器科を受診しました。

検査予約後、様々な検査をひと月程かけてしましたがやはり何も異常は見つかりませんでした。

そんな時、婦人科で再度念のためにと検査していた結果が届き「癌の疑いあり」との事で再受診。

検査の結果、7月1日「子宮体がん」と診断がおり、すぐに大学病院を紹介され翌日に出向きました。

またそこから同じような検査があり、最終的に親族が呼ばれる事になりました。

しかし、その大学病院では担当医に疑問を感じ「今後ここで治療を続けていいものか?」

「本当にこの先生に手術をしてもらうのか?」「今後長い癌と言う病気と付き合いながらの人生、この人に託していいのか?」と思わせる出来事がいくつもありました。

現在の状況について、手術について、今後の事についてなど、家族、友人に付き添ってもらい説明を聞きに行きましたがやはり皆同じ意見でした。

質問をすると、ため息をつかれ、最後には「癌は貴女だけではないんだから」と言われる始末。

それには家族も驚き、病院を変える事を決定しました。

この様なことは担当医に言い辛く、また他の病院を探すにしてもどの様に探していいか不安でいっぱいでしたが

周りの説得もあり勇気を振り絞り担当医に伝える事となりました。

正直に「セカンドオピニオンを探したい」とは言えず、知り合いの医者の意見も聞きたいのでデータを貸してほしい、

可能なら実家のそばで手術を受けたい等のニュアンスで伝えたのですが、それならなぜ家族と一緒にここで説明を受けたのか・・・最初からここで受ける気はなかったのではないかなどの叱責がありとても委縮してしまい

恐怖でいっぱいになった事を覚えています。

癌になっただけでも不安で押しつぶされそうになっているのになぜこんな事で苦しい思いをするのだろうと・・・。

そんな時友人の紹介で、女性誌などで「女性の病気」について特集が組まれる時に監修されている先生で

ご自身でも開業しているという婦人科医を紹介してもらいました。

その先生のアドバイスやすすめもあり、大学病院で婦人科の担当医を通さず総合受付で状況をきちんと説明し

データをもらう事が出来ました。

しかし転院先のその病院でもまた同じような検査を何日もかけ行いました。結局3回目です。

検査の結果は変わらず手術以外にはないとの事で、手術施設の整った「国立がんセンター中央病院」を紹介されました。

4つ目の病院です。

今回は1週間でMRI、PETなどの検査が終わりすぐに手術の日程が決まりました。

10月11日入院、13日手術です。

紹介されて初診後、1ヶ月も経っていませんでした。

検査も手続きもスムーズで、先生の話もとてもわかりやすく、家族にも丁寧に答えてくださり

何度も確認のように同じ質問をしてもいやな顔一つせず納得いくまで話してくださいました。

看護師さんや周りのスタッフの方々のサポートもとてもありがたかったです。

この病院は癌と言う病気に打ちひしがれているであろう患者さんばかりです。

その人たちを力強く応援してくださっているのをひしひしと感じました。

特別な病気扱いはせず、しかし丁寧に細かいところまでもフォローしてくださったことにとても感謝しています。

手術は8時間程かけ終わりました。

処置室で2日間過ごすのですが、麻酔から覚めその後の痛みは苦しく、何度も痛み止めを打ってもらいました。

喉がカラカラになっても、水すら飲む事が許されず濡らした大きな綿棒で口の中を拭いてもらうだけです。

時間の経過をあれほど遅く感じた事はありませんでした。

明けない朝を、恐怖と痛みの中で待ち続けました。

翌日はもう歩く練習です。

ふらつきながらも、看護師さんに支えられ短い距離を歩きましたが

貧血もあり引きずられるような状態での歩行訓練です。そうしないと腸などの癒着がおきるそうです。

その後は一般病棟に移り回復を待ちました。

しかし退院間近になり急遽家族が呼ばれました。

リンパへの転移が確認された為、すぐに再手術を行いますと。

その後は予想もしていなかった抗がん剤の治療を行う事も告げられました。

様々な事を質問し、治る確率などの説明を受け家族はぎりぎりまで再手術を考えたいと申し出ました。

先生はそれでも手術予約を入れて当日まで待ちますと言ってくださいましたので、最終的には家族に私の意見を尊重してもらい2度目の手術になりました。

1度目の手術から1カ月後です。

一旦数日間の退院許可を貰い、長い髪の毛を切り、会社への報告、再入院の支度、退院後の準備、保険の確認など慌ただしい日々を過ごしました。

その間、誕生日を迎え家族や友人とささやかに祝いました。

前回と同じく2日前に入院し、手術当日を待ちますが、手術前に行う様々な検査などはついこの前だったので全て覚えています。

2回目だからこその恐怖が襲いました。

辛さも、痛さも知っている分とても怖かった。

2回目の手術は更の大きく開腹し50個以上のリンパをとったとの事でした。

おなかの中をかき回したような状況です。

手術も時間がかかり、回復にも予想以上に時間がかかりました。

術後の2日間は同じでしたが、今度は一般病棟に戻ってからの戦いが始まりました。

ずっと吐き続けるのです。

食事は出来ないので吐くものはなく黒い胆汁が出てきます。

常に吐しゃ物を入れるピンク色のボールを2~3個準備してもらい手元から離せません。

歩く事も出来ず、ナースコールを鳴らしてばかりの日々でした。

先生に聞いても「いずれ良くなる。もう少し。」と言われるけれど一向に回復しません。

同じ病室の人たちから、後になり言われたのですが「手術が失敗して苦しんでいる人だと思っていた。」

「死んでしまうのではないか。ならば個室に入れてあげればいいのに。」とみんなで心配していてくれたそうです。

約10日間この戦いは続きました。

最後の方は鏡を見るのが怖いくらいにやつれ、色も黒く、眼が窪んで自分ではないようでした。体重も激減し小学生以来の体重になっていました。

本当に辛かった。

家族が毎日来てくれていましたが家族も声をかけるのがつらそうで静かな長い時間だけが流れます。

車いすに乗り洗面室に移動して看護師さんにシャンプーをしてもらったり、気分転換に病棟を車いすでぐるぐる回ったそうですがまったく記憶にありません。

苦しさで記憶が飛んでいるのでしょう。

この間は誰にも会いたくなく先が見えない日々が続いていました。

そんな辛いなかでも検査はあります。なかでも胃カメラは最悪でした。意識が朦朧とする中車いすで検査室まで連れて行ってもらい、順番待ちをしていたのですがあまりの体調の悪さに車いすに座っている事にすら耐えられず別室で横になっての順番待ちです。

吐くだけの胆汁はもう無く、もうしばらくの辛抱との事でした。

その後は先生の言う様に少しずつ回復し腹部左右に付けてあった多くのドレーンもはずれ歩く事も可能になりました。

歩けるようになるとその後は気持ちも少しずつ楽になっていき病室の方とも笑いあえる状態まで回復しましたし、

友人のお見舞いも受け入れられるようになり会話も普通に出来るようになっていきました。

しかしこれから抗がん剤治療をはじめる不安と絶対に治るという希望が交錯する感情をコントロールしなければならない日々がはじまっていきました。

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